当山は剣尾山々上において月峯寺が繁興であった時の里坊大泉庵である。天文年間(1532~1554)月峯寺が兵火で焼かれ、後に領地没収、院坊悉く退散したとき、玉泉坊の住持良実法印並びに従弟良海は山上資糧乏しく雲霧に勘兼ね、本尊、縁起、霊仏等をたずさえ下山した、そして本尊を大泉庵に、法印大師木像を東方丘上に安置し大師堂と名づけた、良実法印は大泉寺を開山し開祖となる。